くらしの植物苑特別企画「伝統の桜草」 

 2017年4月30日 国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑へ

「伝統の桜草」、前回は3年前になりますか。

 会場の案内文です。

サクラソウの歴史

 サクラソウは、江戸時代の中期から栽培がはじめられた古
典園芸植物で、約300年の歴史をもちます。
 江戸郊外の荒川沿いの自生地で花見をしたり、持ち帰って
鑑賞したのが普及のはじまりといわれています。その後、鉢
植え栽培の流行によって市民層に急速に普及しました。また、
品種改良も盛んに行われ、最盛期の頃には300品種以上も
あったと言われています。鉢植えのサクラソウは江戸の手土
産となり、各地への普及をうながしました。
 しかし、明治維新を境に武家社会がくずれ、品種が逸散し
て危機を迎えました。明治後期から大正にかけては、サクラ
ソウの同好会の発足によって復興に向かいましたが、関東大
震災によって衰退、そこに第二次世界大戦が追い討ちをかけ
ました。戦後には、戦前の同好会が再発足し、地方にも組織
が増え、現在に至っています。

 300年の歴史です、今度は自生地に行くのもいいかもしれません。

 ネーミングと花の対比も面白さのひとつですね。

 綾餅 奈々子 ときめき 秋茜 夜の梅Ⅱ 無礼講 春の曙
 緋の袴 楊柳の笛 瑠璃源氏 絞竜田 笹鳴 駒留 光輝殿
 駅路の鈴 娘心 夜半の月 異端紅 鳴海潟 唐獅子 紫雲竜
 青海原 梅が枝 笹鳴 紅児童 薄蛇の目 紫鑼 春告鳥
 紅点鳴鶴 銀覆輪 東鑑 唐衣 獅子頭 玉珊瑚 匂う梅
 初衣 六玉川 由利浜 小町紅 志賀の都 大明錦 墨染源氏
 代々の誉 などなど

 「戦友」の名もありました、どのような気持ちで名前を付けたのでしょうね。

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環の大楠 たまきのおおくす 千葉県富津市

 1月14日、富津市にある「環の大楠」を見学です。住所は千葉県富津市東大和田12 興源寺、お寺の境内にあるようです。
 目的地の近くにお酒の蔵元がありました、巨樹見学を終えたら是非立ち寄らなければ・・・。

 お寺の石碑が見えました。
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右手の坂を登る途中に環の大楠があります。
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案内看板から

千葉県指定天然記念物

環の大楠(たまきのおおくす) 一樹 

昭和十年三月二十六日指定

 この大楠の主幹はすでになく、大きな空洞になっており、蘖(ひこばえ)ようの二本の幹が大きくのびていて、四周を覆っている。
 樹高は一四・五メートル、目通幹囲一二メートル、根回りは一三メートルである。牧野富太郎博士は「牧野新日本植物図鑑」中「くすのき」「奇(くすしき)の義也といえり、よく石に化し、樟脳を出すものなれば名くる成るべし」と和訓栞にあるが、定説とはできないとしている。
 第一回の県指定天然記念物で、環の名は旧村環村からきている。

昭和五十九年一月一日
千葉県教育委員会 富津市教育委員会

環の名は村の名前から来ているんですね。

この木の裏手に本堂へ行く階段があるんですが、急坂で大変恐ろしかった。
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本堂の手前に大楠の空洞の中にあった板碑があります。
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 板碑の案内文です。

富津市指定有形文化財(建造物)

興源寺板碑(こうげんじいたひ) 一基

昭和五十八年十一月八日 指定

 興源寺は松嶺山吉祥院と号する真言宗智山派の寺で、室町時代初期の応永年間(一三九四~一四二八)の開基と伝える。山門へ続く長い登り坂の右手には、千葉県指定天然記念物の「環の大楠」があり、目通り一二メートルを超える幹は大きく空洞となっている。以前その中には、ほぼ中央から二つに割れた板碑があったとされるが、その後、境内に登る石段の右側に移され、さらに本堂前へと移されて現在に至っている。
 この板碑は高さ一一〇センチ、幅は上方で二二センチ、下方ではやや広がり二六センチである。厚みは頂部から身部にかけては一〇センチ前後、基部は一七センチでとくに基部は埋設に耐えられるように厚く造られている。身部には阿弥陀三尊と思われる種子が陰刻され、願文等の判読は困難であるが、正長元年(あるいは二年)(一四二八~一四二九)の紀年銘がある。
 なお、板碑の素材には当地の砂層中に見られる砂岩が使用されている。このような類例は県下には数少なく、極めて貴重な資料である。

平成十四年三月二十九日

富津市教育委員会

 板碑の素材が砂岩、これが珍しいらしい、何が判るのかな。

 最近3つの巨樹を見たけれど、どれも傾斜地の近くだったり、または傾斜地に立っていました。偶然かな。

 境内からの眺め
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 坂の途中にあった南天
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 帰りは蔵元に立ち寄りです。
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 次回も途中に蔵元があれば嬉しいんだか・・・。




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賀恵淵の椎 かえふちのしい 千葉県君津市

 先週に引き続き巨木を見学です。今回は千葉県君津市賀恵渕164 八坂神社にある椎の木です。ナビに目的地を登録するためネットで八坂神社の電話番号を調べてもヒットしません。適当に見当をつけて出発です。

 近くにきてもそれらしい樹木・神社が見当たりません、コンビニで教えていただきなんとか目的地に到着です。神社のおおきな境内にこの巨木が鎮座していると
勝手に想像していたので、こんな可愛いらしい神社とは・・・。
 まあ神木ですので建築物はあまり重要ではないかな。

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 説明文です。

君津市指定天然記念物

賀恵淵の椎 かえふちのしい

所在地 君津市賀恵淵 八坂神社
昭和五十年八月四日指定

 この椎は、和名をスダジイ又はイタジイと呼ばれ、上
総地方の社叢では数多く見られる樹種でブナ科に属する
常緑広葉樹であります。
 古くから人間とのかかわりが深く、農耕以前はその
果実が貴重な食糧源となっていました。
 この名木は樹齢は定かではありませんが、目通り周囲
は八・五m、樹高二〇・七m、枝張りは東方向に一六・三
m、南方向に二十一・0m、北方向に十二mもあり、樹
冠は七五〇㎡の境内の大半を覆っています。
 平成元年に、新日本名木百選に選ばれた由緒ある巨木
です。

 平成三年二月二十八日
             君津市教育委員会

 やはり巨木には神様がいると感じさせますね。

 境内のすぐ裏側は小櫃川( おびつがわ)が流れています。

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向かい側の景色
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奥のほうは久留里線があります。

 

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安久山の大シイの木  千葉県匝瑳市

1月なのに気温が16℃、喜んでいいのやら・・・。
久々に巨樹を見に匝瑳市に向かいました。
場所を調べると以前に行った飯高檀林の近くです。住所は匝瑳市安久山197、読みにくい漢字が並びますね、そうさし あぐやま です。

この巨樹は個人宅にあります。

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自宅玄関前に行くと維持管理協力金を入れる箱がありました。誰も居ない様なのでお金は箱に入れ、少し奥に鎮座する巨木との対面です。

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匝瑳市指定 天然記念物
安久山の大シイの木

学名をスダジイと呼び、日本全国広く分布している樹種である。しかし本樹は、高さ25m幹周約10mを測る巨樹で環境庁の調査によれば、全国で四番、千葉県内最大の椎であることが判明している。古くから、信仰の対象物となっており本市においても貴重なものである。

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椎の木では全国で4番目ですか。よくぞ残っていてくれました。

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この木の裏手は上の看板写真にあるように有名な里山のようです。

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藤の花が咲くころはきれいだろうなと思える景色です。

こちらの庭に咲いていた蝋梅です。
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上野三碑と国立歴史民俗博物館

 6月7日、古碑を見学に国立歴史民俗博物館へ。
 高崎市で上野三碑をユネスコ記憶遺産に登録することを推進していますとの記事を見て、ネットで上野三碑を調べてみました。飛鳥から奈良時代の古い碑が群馬にあること、またその碑の一つが日本三古碑であることなど初めて知ることばかりです。是非とも日本三古碑と上野三碑を見てみたいと思ったのですが、場所を調べると宮城・栃木・群馬と移動距離がかなりあります。
 佐倉の国立歴史民俗博物館に古碑のレプリカが展示してあったのを思い出しました。中庭に展示してあり、なかなか目的と興味がないと見過ごしてしまう場所です。ただレプリカといえど古碑を一同に見られるのは当方にとって大変助かります。
 他の展示物見学は省き古碑のみ見学です。何回か国立歴史民俗博物館を訪ねましたが、今回のように目的を持って訪れるのが楽しいですね。

上野三碑
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日本三古碑の那須国造碑と多賀城碑
(多賀城碑の展示は第一展示室)

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 書道をやられている方には大変重要なものなんですね。

 展示品リスト(博物館のHPから)です。
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 このリストで18~24番は現存しないと書かれています。どうして現存しないのが分かるのでしょうか。表の中で一番古い伊予道後温泉碑をネットで調べると古書に碑文が載せられているんですね、この世界なかなか面白そうです。

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 そのうち現物を見る機会があれば、レプリカとの比較もしてみたいですね。

多胡碑の碑文
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伝統の古典菊 (国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑)

 6日、国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑で開催されている「伝統の古典菊」を見学です。2年前にもお伺いしましたが、何となくまた見たいなという気分にさせる展示会です。
 佐倉中学の前を車で通過し植物園の向かい側に駐車です。銀杏の臭いがします。

 植物園の駐車場からは車椅子で入場できるようになっています。

丁子菊
 江戸時代に盛んに栽培されていた菊で、外周に平弁の舌状花が伸び、中心の筒状花の花弁が大きく発達して盛り上がって咲きます。この盛り上がった形が、香料の丁子(クロープ)フトモモ科の植物の花に似ていることから名づけられました。アネモネ咲きとも呼ばれています。

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嵯峨菊
 嵯峨天皇の時代に宮廷に植えられ、茶会や歌会に並べて鑑賞したのがはじまりとされています京都の嵯峨地方で盛んに作られ、明治になるまでは大覚寺内のみで栽培され門外不出でありました。花弁が細く刷毛のように直立し、箒を逆さに立てたような形になるのが特徴です。

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伊勢菊
 花弁が細く、先が垂れるように咲く|垂咲_が特徴です伊勢神宮の斎王や、彼女に仕える女房たちが京の都を懐かしんで取り寄せた嵯峨菊が基本になったといわれますが、「垂咲」は、江戸時代に改良されてできたとされています。

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江戸菊
 花弁は平弁で、開花するにつれて花がさまざまに変化(芸をする)するのが特徴で、この変化を「狂い」と呼びます。狂いは開花直後から始まり、終わるまでには1ヶ月近くもかかります。江戸菊は江戸時代の初頭から育成されていましたが、現在に受け継がれる花形が成立したのは、江戸時代後期の文化・文政期とされています。

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 花の変化(狂う)を楽しむという鑑賞法を知らされましたね。


 園内の植物達です。

 ノコンギク
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 サンザシ
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 フヨウ
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 クコ
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 駐車場にいた猫
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成田山菊花大会と紅葉

 久々の成田山です。菊花展と少し早い紅葉見学での訪問です。

 成田山菊花大会は11月15日まで、入れ替わるように15日から成田山公園紅葉まつりが開催されます。

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 公園の紅葉の様子です。
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 多少、色ずき始めています。

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重要文化財 山本家住宅 (茨城県神栖市)

 9月23日、秋晴れの過ごしやすい天気です。久々の重要文化財建造物の見学です。
 茨城県の南端に位置する神栖市の山本家住宅 です。
 神栖市で思いだすのは鹿島コンビナートですかね。

 ナビまかせでj順調に到着、近所にはパチンコ屋さんがありました。

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 萩の花が咲いてお迎えです。

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 入り口に東日本大震災の際の津波の潮位のプレートがありました。

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 腰の位置より上ですね。

 本題の山本家住宅です。
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 案内板より

国指定重要文化財山本家住宅

●所 有 者        山 本  文 男
●国重要文化財指定年月日 昭和五一年二月三日
●主要寸法
    桁行(横の長さ)   一九・六八〇m
    梁間(縦の長さ)   一〇・五二八m
    棟高(高さ)     七・九二〇m
    平面積      二四四・三八三m(約七四坪)
●全面改修工事     平成四年一月一日~平成五年一二月二一日

 山本家は鹿島灘に近い神之池畔にあり、網元をしていた漁家で、名主を勤めたこともある名家です。住宅の建てられた年代はその手法より一八世紀中頃と考えられていますので、平成八年からさかのぼると、約二五〇年前に建てられたことになります。
寄棟造、茅葺で、南側の正面東寄りが大きく突き出た曲屋という形式をとり、南側と西側が「せがい造」という軒下が大きく張り出した造りになっています。
この住宅は良質で保存が良く、構造は同じく国指定重要文化財となっている出島村の椎名家住宅など茨城県南部に共通したところがあって、この地方の民家の特徴を知るのに重要な民家です。また漁家で重要文化財に指定されているものは、山本家を含めて四件しかなく、その点でも貴重なものといえます。
 永年の風雨に耐えてきた山本家住宅も、近年その痛みが著しくなったため、平成四年一月一日より建築当初の姿に戻すことを目的に全面解体修理が行われました。
 残念ながら建築年代を示すものは見つかりませんでしたが、江戸時代本の文化年間 (一八〇四~一八一七年)に修理が行われたという墨書がゲンカンとザシキから発見され、建築年代を考える上で貴重な収穫となりました。
 工事は平成五年一二月三一日に完成し、江戸時代の浜の賑わいを今に伝える建造物として復元されたのです。

平成八年三月
                      神栖町教育委員会
                      神栖町歴史民俗資料館

 今回は予約しての見学ではないので内部の見学は出来ませんでした。南部の曲家が馬ならこちらは何なのでしょか。茨城県で曲屋が見られ、まして網元の家が曲屋とは何か不思議な感覚です。

 

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船橋市場 ふなっしー プロレスバトル

 5月18日、ふなっしー他ユルキャラを見に船橋市場を訪ねました。市場45周年を祝うイベントです。
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 約5万人の来場があったようです。おそらくプロレスバトルに集まるキャラクターを目当てでしょうね。まあこちらもふなっしーを見に行ったわけですが。

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 他にも沢山いました。

 目的のふなっしー殿です。

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 ふなっしーの後姿 
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 凄まじき人気です。
 天気に恵まれと言うより暑さでキャラの皆様は大変でしょうね 。

 熱気でこちらも疲れました。

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伝統の桜草 (国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑)

 2014年5月4日、国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑で開催されている特別企画「伝統の桜草」を見学です。以前には「伝統の古典菊」という企画展もありました。
 博物館から若干距離がありますが軽い散歩の距離です。

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 4月29日はみどりの日で入苑無料だそうです。

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 会場の解説板から

 サクラソウの歴史

 サクラソウは、江戸時代の中期から栽培がはじめられた古典園芸植物で、約300年の歴史をもちます。
 江戸郊外の荒川沿いの自生地で花見をしたり、持ち帰って鑑賞したのが普及のはじまりといわれています。その後、鉢植え栽培の流行によって市民層に急速に普及しました。また、品種改良も盛んに行われ、最盛期の頃には300品種以上もあったと言われています。鉢植えのサクラソウは江戸の手土産となり、各地への普及をうながしました。
 しかし、明治維新を境に武家社会がくずれ、品種が逸散して危機を迎えました。明治後期から大正にかけては、サクラソウの同好会の発足によって復興に向かいましたが、関東大震災によって衰退、そこに第二次世界大戦が追い討ちをかけました。戦後に戦前の同好会が再発足し、地方にも組織が増え、現在に至っています。

 300種以上ですか、変種が生まれ易いのでしょうかね。

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 ネーミングを見るのも面白いですね。

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 ハーモニー

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 磯牡丹

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 鋸峰

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 玉の冠

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 金陵台

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 三保の古事

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 小桜重

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 小町紅

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 新冠

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 千鳥遊

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 天女

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 天晴

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 匂う梅

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 白髪獅子

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 薄蛇の目

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 姫桜

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 浮線綾

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 北斗星

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 夢殿

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 明烏

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 勇獅子

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 夕月

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 落葉衣

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 瑠璃源氏

 他多数あり。

 雛壇のように飾る鑑賞法もあるようです。

 桜草花壇(段飾リ)の陳列法

 江戸時代後期【天保期(1830~43)】の写本と伝わる『櫻草作傅法』という書物には、桜草花壇の陳列法が記されています。これは間口1間、5段の棚に33鉢、あるいは38鉢、6段に43鉢を花色の順を決めて並べた陳列法で花色や花形の変化を一堂に集めて、多くの鉢を組み合わせて観賞されます。このような総合的な美しさを楽しむために生み出されたのが「桜草花壇(段飾り)」という観賞法です。これはサクラソウのためだけに開発された観賞法です。

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 植物苑を入ってすぐ右側に桜草花壇が作られていました。

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 西洋的な八重・大輪と違う魅力を見せてくれた桜草の企画展でした。






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