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2013年12月

下野薬師寺跡 しもつけやくしじあと (栃木県下野市)

 11月24日、栃木県下野市にある国指定史跡下野薬師寺跡へ。近くに歴史館があり,また無料で見学できます。

 先に歴史館から
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 アプローチの途中に石碑がお出迎えです。
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 この馬頭観音は薬師寺地内に祀られていたものを移転したものです。表面に「馬頭観世音」と刻まれた文字塔で、側面には天保11年庚子4月8日と記されていることから、西暦1840年の江戸時代に建てられたことがわかります。

 館内にある復元模型
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 案内文から

下野薬師寺
 下野薬師寺の創建は、川原寺式の文様瓦が出土することから、7世紀末と考えられる。板塀で囲まれた寺院地の広さは、当初から東西250m、南北350m。これは地方としては破格の大きさで、中央の大寺院に匹敵する。
 これはどの寺院がこの地に建立された背景には、天皇の絶大な信頼を得て、中央で藤原不比等らとともに活躍した貴族「下毛野朝臣古麻呂」の存在が考えられる。

国家的に造られた下野薬師寺
730年ごろに行われた下野薬師寺の大改修は国家的に進められた。下野国司のもとに造下野国薬師寺司という役所が置かれ、造営のために、技術者の於伊美吉子首や高僧の宗蔵が都からやってきたことがそれを物語る。
 こうして、一辺100mを超える瓦葺回廊で囲まれた壮大な中心伽藍が整備されていく。

下野薬師寺の隆盛
 749年(天平勝宝元)、中央の諸大寺などにそれぞれの限度を設けて、墾田所有が認められた。この時下野薬師寺には法隆寺や四天王寺と並ぶ500町もの墾田が認められており、中央の大寺院並の待遇が与えられている。

下野薬師寺の衰退と復興
 827年(天長4)、最澄が開いた二天台宗の延暦寺に戒壇院が建てられると、三戒壇を経ずに僧(比丘)になることができた。天台教団の活動は、関東では下野・上野を拠点に展開した。10世紀、こうして下野薬師寺における戒壇と受戒そのものの重要性が薄れ、寺運衰微の要因の一つとなった。
僧侶の育成とう重要な役割をもっていた下野薬師寺も、律令国家の弱体化や最澄が開いた天台宗の台頭により、衰退の道をあゆむ。

下野薬師寺の復興
 下野薬師寺を復興させたのは,鎌倉時代の僧・慈猛(また密厳)上人(?~1277)である。慈猛は天台・律・法相・真言を学び、特に戒律と真言密教に明るかった。
 慈猛は伽藍を再建し、戒壇と受戒を再興した。薬師寺に居館を構えた薬師寺政村(後の朝村)をはじめ多くの僧俗に授戒を行ったという。また真言密教を伝授し、数多くの弟子を育てた。
 14世紀の下野薬師寺には「潅頂堂」があって、真言行者(阿闇梨)になりための儀式(伝法灌頂)が行われていた。

その後の下野薬師寺
14世紀ごろ、下野薬師寺は寺号を「安国寺」に改めたと、『薬師寺縁起』は伝える。安国寺のようすは、「関見通多功道取絵図」からうかがえる。絵図には、六角堂の姿が見え、「釈迦堂」と表記される。
 1805年(文化2)刊行の『木曽路名所図会』には、江戸時代の安国寺が描かれ「薬師寺」と紹介している。下野薬師寺の伽藍はすでに失われたとはいえ、その高名と伝統はなお生き続けていた。

 約1300年の間にいろいろな変化がありますね。

 次は瓦の説明文と写真です。

瓦の変遷と生産遺跡 
 地方寺院が造られ始めたころ、寺造りには畿内の技術が生かされた。瓦造りも同様で、軒先瓦に畿内の寺院と同じような文様を使うことが多かった。 代表的な様式は川原寺(奈良県明日香村)や山田寺(奈良県桜井市)であった。 やがて、地方では畿内と異なった独自の文様で飾る瓦が使われていく。

 下野薬師寺の軒先瓦は、鐙瓦が27種、宇瓦が17種ある。創建期の瓦は、鐙瓦101型式と宇瓦201型式で川原寺式である。創建から730年ごろの大改修までは、水道山瓦窯(宇都宮市)付近で焼かれたようだ。大改修時に使われた瓦は、鐙瓦119型式・宇瓦202型式でありその瓦氾は後に興福寺(奈良県)などでも使われている。中央の技術が下野薬師寺の造営に密接に関わっていたことがわかる。その後、窯場を乙女不動原瓦窯(小山市)に移し下野薬師寺の大改修が終了したらしい。
750年ころに下野国分寺が建立されると、瓦は三毳山(佐野市)付近で焼かれた。二つの寺の瓦は、別々の窯で造られたが、次第に同じ窯から供給されるようになる。寺独自で行っていた瓦の生産を、下野国が管理するようになったためらしい。
 8世紀後半には、少量ながら芳賀郡で造られた瓦も供給された。

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 文字瓦
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発掘調査で見つかった瓦の数々
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 他にも沢山あります。

 歴史館の2階に行くと薬師寺跡の遠景を眺められます。
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 2階から薬師寺跡地へ外階段を使い向かいます。

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 中で子供たちがテニスの練習をしていました。
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 回廊の一部が復元されています。
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 周辺に瓦がないか見てると、あちこちに瓦を発見。
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 回廊の近くにある六角堂
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 見学を終え駐車場の足元を見ると、砂利と共に布目瓦の破片があります。
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 布目瓦は珍しくも貴重なものでもないのかな・・・。

 ワッフルのような古代瓦
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 布目がはっきりとわかる瓦
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 歴史館のパンフレット 子供用
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 パンフレット 一般
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 帰りで高速から富士山が見えました、なんとなく得した気分です。
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布目瓦 瓦当笵

 以前、君津市の九十九坊廃寺跡を見学した際、近くで造成した場所があり、地面に瓦らしきものを発見しました。古代瓦であろうと家に持ち帰り、水洗いしたのが下の写真です。

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 模様の入った軒丸瓦や軒平瓦であったら我が家のお宝となるところですね。
 ワッフルのような模様が楽しいですね、職人さんが叩いているところを想像するのも一興かも。

  房総のむら 風土記の丘資料館に展示されている軒丸瓦です。

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 11月15日に再度、風土記の丘資料館を訪ねました。目的は香取市の畑で発見された瓦当范です。軒丸瓦の型で陶器製という珍しいものです。型は木製がほとんどらしく、残っているものは無いようです。
 ところが目的の瓦当范が見当たりません。受付で尋ねたところ別室から職員の方が出てきて香取市に返却したとの事、展示等は香取市の教育委員会に確認するようにとの事、残念です。どこに陳列しているのでしょうね。

 写真を整理していたら2012年10月に撮影していました。

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